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さぁ、僕たちの可能性の話をしよう。TVP4

どうも、こんばんは、Sizu会計代表のやらぞう、こと星野雄三と申します。

総括したまとめは、後日大塚やそのほかのメンバーが行う事を期待してますが、とりあえず一つの事をここで書きたいと思います。

早速ですがあの後、自分が直接よんだ、柳沼と井上俊吾とご飯を食べていました。

ある程度交流関係もあり、直だからこそ言えるような率直な意見を、おかげさまで聞くことができました。

総合的に彼らも満足し、リピートしたいとはいってくれたものの、それでも僕たちが至らなかったことからくる意見も多く頂きました。

ここでは、その内容は明らかにしませんが、それでも私達Sizuの今後の運営には確実に生かしていきたいと思います。「TVP4」、ということで4回目にして、1回目よりは随分クオリティが上がった、と思うものの、

「あ、内部にいるとやっぱり気づかないことがたくさんあるんだな」

ということが身に染みて感じてます

さて、そのまとめも兼ねて、少々書きたいことがあったので、記録に残したいと思います。
都合上、である口調ですが、どうかお付き合いください。

夜分も遅いですし、僕も明日に読んだら恥ずかしい内容で消すかもしれないので、今晩中に読んで頂ければ幸いです(笑)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

○さぁ、僕たちの可能性の話をしよう。

ボランティアの帰り、柳沼と俊吾と飯を食いながら、次回の集客の話をしていた。
この三日間を通して、彼らもボランティア、そして僕たちSizuの事に興味を持ってくれたようで、

「次回は友達を誘っていきたいと思うよ」

といってくれたことがとても嬉しかった。

しかし、この後の話で大分、考えさせられる示唆に富む話があったので、少し考えたいと思う。

その後彼らが付け加えたこととして、

「それでも、理想としては俺らが他の、もっとガッツリしたボランティアに行って、参加者は初体験の人達で満たされるべきだよね」

全くその通りなのである。

僕個人としては、ボランティア初経験としてはSizuのイベントにウェルカムであるけれど、もしそこで意識が高まったのならば、一週間泊まり込みでひたすらボランティアを行う、などのツアーにも行ってほしいと願っている。

純粋な観光ツアーとして考えるならば、リピーターがいることは大いに歓迎するべきことである。ただこのTVPに関しては、ツアー運営者として、「リピートしてほしい」、と思いつつ、「僕たちの所に留まらず巣立ってほしい」という思いがあったりするのだ。

そんなわけで、TVPの集客で考えさせられることは、集客第一で考えるならば、おそらくきてくれるであろうリピーターにアタックするべきなのだが、それでも理想としては新規のお客さんだけを呼ぶべきなのだと思う。

ここが、少々悩ましいパラドックスである。

おかげさまで、Sizuのイベントには

「お金ためていきます!」

という確固たるファンなるものが少なからずいる。

伊豆へのツアーならそれは大歓迎である。けれども、TVPの本来の目的はボランティアであるのだから、僕たちのツアーに何度も通ってくれるのは目的が少々ずれている気がする。

本当にボランティアを目的とするならば、他の団体でもいいわけなのだから。

さて、帰りの電車で考えていたのだけれど、これって「教育者」と似通ったものがあるのかな、と感じた。

(まぁこれだけじゃまったく意味がわからないと思うので、説明を加えると)
先生を含む、人に何かを教える人というのは、

「確かに自分の背中を見て、尊敬してくれたら嬉しいけれども、最終的には自分を追い越して、自分に背中を見せるぐらい成長してほしい」

という矛盾を持ちつつ、従事するのが正しい教師の在り方だと思っている。

だから東北ツアーの参加者に対する「またきてくれたら嬉しいけれども、他の所にいってほしい」という感情と似ているのだ。

そういう意味では「尊敬する人」も同様だと思っている。

「私、あなたについていきます!」

といわれるのは、人としてとても嬉しい事だと思うし、とても素晴らしい事だとは思う。

しかし、それでも相手にこれを言わせてはいけないのかな、なんて最近は思っている。

確かに尊敬されるのは嬉しい事だけれども、幸か不幸か、自分の一挙手一投足が相手の影響を受ける場合、それなりに重い責任があるのではないか。そして、自分よりも良い影響を与えうる人間は必ずいるのだろうから、心置きなくその人に送り出せるような心構えが必要なんじゃないか。

そんなわけで、尊敬されるのも資格が必要なのかもしれない、などと思ったりする。
尊敬され、人に影響を与えるのにもそれなりの覚悟は必要なのかもしれない、なんてことも思う。

だから先ほどと同じ理屈で、尊敬されるのを嬉しいと思いつつも、

「いや、自分よりも素晴らしい人はたくさんいるから、もっと色々な人に出会いなさい。こんなところに留まっていないで」

なんてことをいけしゃあしゃあ言うのがベターなんじゃないかな、と思っている。

ある予備校教師がこんなことを言った。

「もしこの日本で受験戦争、というものがなくなったら、一人一人の生徒が予備校がなくても十分に勉強ができるようになったら、予備校は潰れ、僕の仕事はなくなるかもしれないが、僕はそれでいいと思っている」

僕は医者も、弁護士も、教師も、そして僕自身もこんなスタイルでいてほしいと望んでいる。

つまり、お客さんや目の前の相手の本当に、悩みが無くなってしまったとき、予備校教師も医者も弁護士も(教師はどうだろうか?)仕事がなくなってしまうが、それでもそのことを歓迎するのが一流の人間だと僕は願っている。

この世から病気が無くなったら、ほとんどの医者が廃業になるだろう。
争いがなくなれば、ほとんどの弁護士が不要になるだろう。
受験戦争の悩みがなくなれば、予備校教師の存在意義がなくなるだろう。

でもそれを喜べるのが人として、相手を思いやることなんじゃないか。

僕は「人が病院にいかない社会を作りたい」などと考え、豪語したりしているけれども、最終的には全ての人が正しく自分の身体をマネジメントできれば、僕は必要なくなるし、目標も果たされたことになる。
(おそらく僕の一生の中でそこまで進むことはないのだろうが)

でもきっとそれで胸を張っていいんだと思う。

きっとそれが最も僕たちと社会の可能性を広げる心構えなのかもしれない。

閑話休題。

いろいろ偉そうなことを言いつつ、まだまだ僕のSizuの企画に関するコミットメント率は低いのだけれど、それでも次回に向けてより良くしたいとは思っている。

もし改善してより良いTVPが企画できたとしたら、意見を発してくれた二人に対して、やっぱり来てほしいのだ。

でもそう願うのは(TVPに関しては)ほどほどにすべきなのかもしれない。

僕は、帰り際、「もうくんなよ」と呟きながら「また来いよ」と二人に言った。
彼らは、「またくるかもしれない」といいつつ、身近で違うボランティアツアーにいくかもしれない。

そんなわけで、他の団体のボランティアで継続してくれるなら、素直に喜ぼう。
また来てくれたら、「本人が希望しているから仕方ないよな」と言い訳しつつ、素直に喜ぶとしよう。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

それでは、皆さん、お疲れ様でした。

また、明日からそれぞれの日常で頑張ってほしく思います。

「自分の目の前のできる事を全力でやる」

このことも僕個人としては、巡り巡って被災地支援になると思っていますから。

それではおやすみなさい。
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